歴史散歩の会

 この会は、年2回、春と秋に鎌倉を中心として史跡等を訪ねて歩く会です。逗葉稲門会の会員や、各地域の地元ガイドがご案内します。個人では味わえない楽しい歴史探訪が魅力です。

 

(リーダー:遠藤 和延)

2023年12月11日 第53回「浄楽寺の運慶仏に和田義盛を想う

 歴史散歩の会では年2回、鎌倉や県内の史跡をのんびり散歩しています。第53回は横須賀市芦名の里で、昨年の大河ドラマでも人気を博した三浦一族の有力御家人・和田義盛の足跡を訪ね、仏師運慶作の仏像を拝観しました。

 当日は空模様も好転し17名の皆さんが参加、前田川渓谷沿いの正行院へ。仕えていた木曽義仲が討たれた後、鎌倉へ連行された巴御前は和田義盛の側室?になったとの伝承があります。正行院は義盛が巴の菩提を弔うために建てた寺を継承し、徳川家光から御朱印を賜り内陣に葵の紋もある本堂には多くの仏像が安置されており、一同じっくり拝観しました。

 そして和田義盛と妻・小野氏が発願し、全国でも真作と確認された仏像は18体しかない仏師・運慶の真作5体が残る浄楽寺へ。通常は非公開ですが今回は特別拝観させていただきました。副住職から詳しく説明があり、さらに照明を消し蝋燭の灯りだけで運慶仏を浮かび上がらせながら朗々と念仏が唱えられ、830年前に造立された運慶仏の迫力と相まって参加者一同感激!

 さらに晩年は境内に住み、夫人とともに浄楽寺に眠る「郵便の父」であり、東京専門学校第二代校長として早稲田を経済的にも支えた前島密の墓にお参りしました。

 最後にこの地を治めた三浦一族の葦名氏の居城跡を見て解散しました。

梅雨の訪れも早い今年度の歴史散歩第一回は、源頼朝・政子夫婦や金沢北条氏、今年の大河の主人公・徳川家康にもゆかりの深い金沢地区の史跡をめぐり、往時を偲びました。
当日はいま一つスッキリしない空模様でしたが金沢文庫駅に14名が集合、まず金沢北条氏ゆかりの称名寺へ。全国的にも珍しい、中世の面影を残す、池の向こうに仏様のいるお堂(=極楽)があるとされる浄土式庭園をゆっくり鑑賞。

近くの古刹や神社を参拝し金沢の地の歴史を偲びつつ、金沢八景駅近くの瀬戸神社では神職の奥様が丹精こめて育てている100株以上の様々な「ヤマアジサイ」を鑑賞し、八景駅すぐ横の金沢東照宮跡に整備された旧円通寺客殿を訪れ、お開きとなりました。

2022年12月17日 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ゆかりの史跡を巡る

12月17日(火)に「歴史散歩の会」の今年度2回目の散策を行いました。
春に続き今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にゆかりの史跡を巡るとともに、首都圏では最も遅い鎌倉の紅葉を楽しむべく企画しました。
当日、朝方はやや肌寒かったものの晴天に恵まれカラッとした散策日和で鎌倉駅西口に17名が集合、今回も鎌倉ガイド協会にガイドをお願いし、まずはバスで大塔宮(鎌倉宮)まで。
鎌倉幕府倒幕に参加しながら父・後醍醐天皇と不仲となり、この地で無念の最期を遂げた護良親王ゆかりの鎌倉宮に参拝後、源頼朝が奥州征伐の戦死者の霊を弔うため建立した幻の大寺・永福寺跡へ。発掘調査により往時の池泉やお堂の基盤が復元された国指定史跡を見学。ついでその名も紅葉ヶ谷に佇む「花の寺・庭の寺」瑞泉寺では夢想疎石により造園され近年再整備された庭園や、境内に点在する石碑などで吉田松陰や大矢壮一などでこの寺の歴史やゆかりの人物をしのびました。
最後は往時の鎌倉の寺の風情が残り、大河ドラマの主人公・北条義時の命を救ったという戌神将伝説ゆかりの覚園寺へ。境内はところどころ紅葉が真っ盛り、鎌倉らしい谷戸の中に点在するお堂や、鎌倉~室町時代の古仏を拝観しながらゆっくり散策し、大塔宮バス停にて解散しました。

今年は11月の気温が高かったため、陽当たり等で紅葉の進み方にばらつきが大きいようでしたが、さわやかな天候の中、古刹と紅葉が楽しめました。

2022年5月12日 源頼朝と北条義時の面影を訪ねる

 コロナ禍により歴史散歩も約2年半の間お休みしておりましたが、ようやく再開の運びとなりました。今回は今年の大河ドラマにちなみ、初夏の鎌倉で寄りと元と義時の足跡をしのび、半日の散策を楽しみました。

 休止前までご案内をお願いしていた岡田先生がガイドを引退されたこと、鎌倉市の指針で密を避けるため大人数引率のガイドができないことから、今回は参加者16名が3グループに分かれ、それぞれに担当ガイドがついて案内を行う方式としました。

 遠足の小中学生で賑わう鎌倉駅に集合し、まず頼朝の父・義知の屋敷跡で、雅子が創建し雅子と実朝の墓がある壽福寺、源治ゆかりの鶴岡八幡宮、頼朝が住まい下大蔵幕府跡、頼朝と義時の法華堂跡などを巡りました。幸いなんとか天気が崩れる前に鎌倉駅へもどることができ、また少人数グループゆえに説明が聞きやすくわかりやすいなど、参加の皆様からご好評をいただきました。

 秋も歴史散歩を計画しますが、コロナ終息迄はこのスタイルで散策を楽しみたい。

2019年12月5日 古地図で知る扇ケ谷の古刹を訪ねる

ようやく気合いの入った寒波が到来した12月5日、第49回・歴史散歩は快晴に恵まれ、岡田厚先生の企画・ご案内で、紅葉も盛りとなった扇ヶ谷の壽福寺・浄光明寺・海蔵寺を古地図を参照しながら散歩しました。  今回は25人が参加、まず鎌倉駅西側の無量寺ヶ谷を経由し山門から紅葉が覗く壽福寺。ここらが扇ヶ谷と呼ばれるようになったのは鎌倉時代後期からで、頼朝の時代は鶴岡と対をなす「亀谷(かめがやつ)」と呼ばれていたそうです。  ついで真っ赤に紅葉が燃える浄光明寺で鎌倉特有の土紋装飾のある阿弥陀三尊像を拝観。岡田先生が古地図で寺域や鎌倉から室町にかけて関係した人物について詳しく説明頂きました。  最後の海蔵寺では普段入れない庫裏に上がり、鎌倉には珍しい広い池に紅葉が映える庭園をしばし鑑賞、胸の中に古い仏面を納める本尊・薬師三尊や十六井を見学し、小町通で解散。みなさん思い思いの店で昼食をとられたようです。

2018年10月10日 第47回 歴史散歩「円覚寺に国宝を訪ねる」

 

本日は秋晴れの半日、表記の歴史散歩に行きました。32名(内女性7名)が参加しました。テーマは『三浦道寸の菩提寺で、ご住職の法話を拝聴』ですが、平成5年から25年の長きにわたり、この歴史散歩のガイド役を務められた小池先生(昭和40 早稲田大学教育学部卒)の最終講話です。小池先生、貴重な資料を準備された上でのご案内、ご講話、誠にありがとうございました。
お訪ねした塔頭などは概ね以下です。
(1)    円覚寺に山門から入山、開会・挨拶
(2)    仏殿
(3)    寿徳庵にて、ご住職の法話と、三浦道寸の最後についての講話。後、境内の三浦道寸の墓へ
(4)    正続院にて、中門、舎利殿(国宝)等の建築様式を含めた講話
(5)    139段上った鐘楼にて洪鐘(おおがね、国宝)と弁天堂の講話
(6)    山門前石段での記念撮影
写真にも小池先生のご準備された緻密な資料を掲載させていただきましたが、本日のハイライトは先生の長年にわたるご研究の成果をその実体を目の前にしながらご講話していただいたことです。また、寿徳庵では、同窓の斎藤住職(早稲田大学卒、昭和26年生)から三浦一族にまつわるご法話をお伺いすることができたことです。

内容の濃いお話を私の手でお伝えすることはとても無理ですので、どうぞ小池先生のレジメ資料(4ページ)をご一読ください。また、写真がやや多くなりましたが、秋の円覚寺とメンバーの近況をお感じいただければ幸いです。

 

 

2018年4月17日  第46回歴史散歩の会「三浦一族の菩提寺を訪ねる」 ~三浦義明像から宋渡来の観音、慶派の観音・地蔵まで~

 

 

2017年10月16日 「三浦一族の遺跡を鎌倉に訪ねる」

生憎の雨の中、表記の歴史散歩に行きました。26名(女性7名)が参加しました。
コースは以下です。
 来迎寺(本堂拝観と、小池先生(教育学部先輩)より来迎寺会館で三浦氏に関する話を聞く)⇒三の鳥居付近(和田義盛屋敷跡)⇒流鏑馬馬場東鳥居(三浦義村・泰村屋敷跡)⇒頼朝の法華堂(宝治合戦)⇒三浦一族の墓(三浦本宗家の滅亡)⇒和田胤長の屋敷跡(和田義盛の乱の原因)※和田胤長の屋敷跡<荏柄天神社前>にて解散
またまた、小池先生(40年教育、藤沢稲門会)より多くのことを学びました。ここでは書き切れませんし、私の記憶容量の限度を超えた量と質でした。しかしながら、以下の事柄は大変、印象に残りました。
(1) 悪源太・義平は、「ワル」の義平ではなく、「強者(つわもの)」の義平という意味であること。(実は、これは前回教わったので覚えていました)
(2) 鎌倉時代の跡継ぎは妻の家柄で決まった。すなわち、頼朝は、実は三男であるにもかかわらず、義朝の跡を継いだ。なぜか。頼朝の妻、すなわち、政子の家柄、北条氏に因ったとのこと。
(3) 頼朝の墓の後ろにある山の上の「法華堂」は頼朝のためにあるのではなく、一般名詞であること。 などなど、とてもとても印象に残りました。
時間もお昼を過ぎたころには「荏柄天神」前に着き、最後のご説明をお伺いしたところで皆様全員で仲良く集合写真を撮り、解散となりました。
なお、私事で恐縮ですが、今回はたまたま家内も参加させていただいたため、歩いて鎌倉駅まで帰る途中、三の鳥居近くの蕎麦屋「峰本」で熱い「鴨しいたけ蕎麦」をすすり、冷たい雨で冷えた身体が芯から温まり、ほっといたしました。

 

 

2017年4月20日 第44回歴史散歩の会「衣笠コース」

平成29年4月20日(木)晴天には恵まれるも、前日とは違い少しひんやりする午前9時30分 JR衣笠駅に集合する。総勢22名、先ず東光山曹源寺(曹洞宗)へ向かう。奈良時代の古東海道に臨んで創建された「宗元寺」が前身である。その寺域には県立横須賀高校の用地も含まれていたとのこと。
昇堂拝観の予定が急な葬儀は入りかなわず、境内で拝観し次の金谷山大明寺(日蓮宗)へ。
大明寺では、本堂(御影堂)に昇堂、ご本尊を前に全員でお焼香し、ご住職より縁起等のご説明をいただく。1253年、横須賀の米ヶ浜の着岸された日蓮上人に、土地の豪族石渡左衛門則久が帰依し、米ヶ浜山上に「三浦法華堂」を建立したことに始まる。その後、大妙寺として現在地に移転、三浦郡内日蓮宗32ヶ寺の本山として栄える。江戸時代になり徳川家康から朱印を与えられ、その折「妙」を「明」と書き違えられ「大明寺」と号するようになったとのこと。
大明寺では時間を大幅に超過するも、ご丁寧な対応をいただき、ただただ感謝する次第です。

 

 

2016年11月16日 第43回歴史散歩「北鎌倉文学コース」

11月16日(水)午前9時北鎌倉駅前に集合し、昨年雨で中止となった「北鎌倉文学コース」を、いつもご案内いただいている小池先生(40 教育)のご説明で、円覚寺塔頭→東慶寺にて実施しました。
今回も雨模様のため当初予定を順延したため、12名での催行となりましたが、その分小池先生の肉声で詳しいご案内をいただくことができました。今回は特に円覚寺・東慶寺にゆかりの深い夏目漱石が1916年12月9日に没して今年で100年ということから、小池先生のご紹介で普段は拝観できない帰源院に入れていただくなど、漱石を中心に文学をメインテーマにした散策となりました。
<円覚寺>
・帰源院 永和4年(1378)創建、北条氏康により再興。漱石が明治27年暮れから翌年正月にかけて円覚寺に参禅(その時の境内の情景が「門」に描かれている)、帰源院に起居。その後先々代住職との縁があり交流、漱石死去1か月前に書かれた書簡が残されている。また島崎藤村も明治26年夏をここで過ごした(長編小説「春」に描かれている)。
・佛日庵 弘安7年(1284)に没した北条時宗の廟所。川端康成の「千羽鶴」は佛日庵の茶会での日本の伝統美が描かれている。大佛次郎の「帰郷」にも登場する。
・松嶺院 天文4年(1535)創建。有島武郎が大正8年に1か月ここにこもり「或る女」の続編を執筆。また墓地には開高健、田中絹代、清水崑などが眠る。
<東慶寺>
弘安8年(1285)、北条時宗夫人の覚山志道尼が開山。駆込寺・縁切り寺としても有名。夏目漱石は大正元年9月、円覚寺に参禅してから東慶寺を訪れた。境内の谷戸に足を延ばし、岩波茂雄(岩波書店創業者)、西田幾多郎(哲学者)、和辻哲郎(倫理学者)、小林秀雄(評論家)、大松博文(バレーボール)、織田幹雄(陸上、早大教授)、高見順(作家)など、墓地に眠る著名人を訪ねた。

2016年4月15日 歴史散歩「金沢八景・六浦コース」

今回の歴史散歩は金沢八景駅の六浦寄り周辺です。23名(女性3名)が参加しました。
まず、京急八景駅ホームから皆さんがよくご存じの駅裏の「かやぶき屋根」のお宅を観賞した後改札を出ると、ご覧の駅前改造工事のまっただ中でした。工事告知看板を見ると、今までちょっと離れていたモノレールを京急の金沢八景に直付けするため、駅前を地上げ?して新たな商店街に作り替える地盤工事でした。お仕事ご苦労様です。
過って商店街がにぎやかだったが今は何もない通りを3分ほど行き、人ひとりが行違えられるほどの京急線路下ガードを潜ると、やがて、この辺りの有力武士であった「米倉氏の陣屋跡」の谷戸奥にたどり着きました。そこには立派な石碑と墓石が建っていました。元々は秦野にいた武田氏一族の米倉氏は武田家滅亡後、徳川家康の旗本になりこの地に移ったとのこと。将軍綱吉のお犬様はこの米倉氏が采配を振るったらしい。また、大田道灌の山吹の話もこの辺りで起こったと聞いています。
次に向かったのが、16号線を渡った海側の「金龍院」。このお寺は臨済宗建長寺派の禅寺。こじんまりした門構えの割には大きな屋根の本堂が気になりました。遠く大屋根の棟の両脇にはミツウロコの紋が見て取れました。庭もきれいないいお寺でしたが、昔、オオヤマツミの神が伊豆三島から飛び来って降り立ったという伝説の「飛び石」横の岩壁を登り切ると、そこには「九覧亭」と書かれたあずまやがありました。名前の由来のごとく、ここからは瀬戸の入江や金沢八景周辺は言うに及ばず富士山や遠くの四方八方の山々が一望できるとのことでした。
今回のメインは「日蓮宗 上行寺」。開山は日祐上人、開基は日荷上人(荒井平次郎光吉)。16号線の三叉路を大船-金沢線を六浦・大船方面に3分ほど進んだ右手にあります。本堂に上がらせていただき、住職から20~30分ほど、由来などの高話をお伺いしました。元々は真言宗のお寺でしたが、日蓮との「船中問答」やその後の法論の結果、日蓮の教えに帰伏したそうです。また、ご住職のお話では今回もガイド役を引き受けていただいた小池先生(40年教育、藤沢稲門会)が3度も4度も足を運び、また、問い合わせを行って今回の準備をしてくださったそうです。感謝! ご住職のお話を聞き終えたのち境内に出て、小池先生からさらに個別の詳しいご説明を伺いました。本堂の向かって左手には、日荷上人が身延山から持ち帰り手植えしたと伝えられる大きなカヤの木(樹齢650年)が、枝垂れた長い腕を重そうに支え棚に伸ばしているのが印象的でした。

2015年4月18日 第41回歴史散歩「名越・材木座コース」

4月18日9時半、鎌倉駅東口集合に総勢39名の男女会員が集合、表記の歴史散歩に出かけた。コースは次の通り~鎌倉駅~大寶寺~安國論寺~長勝寺~大町ふれあい会館(お弁当)~材木座霊園経由~光明寺~補陀洛寺(ふだらく寺)~材木座バス停で解散。
・訪問する場所々で、いつもご案内いただいている小池先生(40 教育)から当時の出来事を彷彿とさせる懇切丁寧なご説明ご解説をしていただいた。また、それぞれの寺では、ご本尊の間近まで上がらせていただき、眼前に拝ませていただいた。
・大寶寺では新羅三郎義光義盛の墓などを拝み、国道(鎌倉-逗子線)の一本裏道を安國論寺へと進んだ。安国論寺はこじんまりしているが、木々や草花がきれいなお寺だ。大きな石灯篭は芝増上寺から持ってきたとのこと。立正安国論の碑もあった。出口で可愛いお地蔵さんが我々を送ってくれた。
・長勝寺も高校時代毎朝毎夕横須賀線の窓外に見ていた寺のイメージは一掃され、きれいな大きなお寺となった。何と崖のレリーフのように、「赤木圭一郎」の胸像があった。
・光明寺は浄土宗のお寺だが、毎年10月中ごろには「おじゅうや」が開かれる。信徒の方々が一週間ほど泊まり込みで集まり念仏を唱えるそうだ。めったに見せない三門の中を見せていただいた。狭い階段を図太い梁(はり)に頭をぶつけないようにして上った。上の部屋には如来を中心に菩薩など約十体ぐらいの仏様が並んでいた。また、引き戸は皆開けてあったので、由比ヶ浜から稲村ケ崎まで一望でき、その時代、光明寺の大屋根めがけて荷役の船が稲村の岩礁を避けて和賀江島に着岸した光景を彷彿とさせた。
・なお、この後、補陀洛寺(ふだらく寺)でも中の中まで上がらせてもらい、ゆっくり当時の話などもお聞きしたが、写真は撮らなかった。

2014年11月2日 第40回歴史散歩『阿弥陀仏コース』(鎌倉・大町~材木座)

11月2日の朝10時、鎌倉駅西口にはせ参じた総勢19名の当会精鋭は、鎌倉生涯学習センター(きらら鎌倉)前で、いつものようにお願いしている講師の小池さん(昭40、教育)のコース説明を聴き、いざ鎌倉と往時栄えた大町方面に向かいました。順序は、鎌倉駅-下馬-延命寺-別願寺-教恩寺-大町会館(昼食)-来迎寺-向福寺-鎌倉駅。ほとんどのお寺に上がらせていただき、奥まで回ってご本尊の阿弥陀如来を拝ませていただきました。小池さんの深い知識に裏付けられた名調子の歴史ガイドによって、一同、鎌倉の世に先祖返り?したひとときとなりました。
~いにしえの 往事を偲んで 往く君は 絶えて久しき 便りぞ想う~(お粗末)

 

 

2014年6月18日 第39回歴史散歩「円覚寺三門特別拝観とご法話の拝聴」

その1:斎藤ご住職法話(寿徳庵)』
・生憎の雨の中、恒例の表記・歴史散歩が実施された。
・まず、斉藤ご住職から円覚寺の起源やその後の鎌倉幕府など、特に元寇後の弔いなどお聴きした。
・それによると、日本人は元より、モンゴル、モンゴルに使われた漢民族、朝鮮民族と国を越えた弔いがなされているとのこと。
・斉藤ご住職は地元の高校を出て早稲田の文学部を昭和49年に出た同窓だそうだ。鎌倉生まれ、鎌倉育ちで逗子葉山の海岸は縄張りらしく、今年も一色海岸で5月に泳いだとか・・・

 

その2:三門(山門)特別拝観』
・年1回しか開けない三門(山)の中を拝観させていただいた。
・松本城の階段にも匹敵する急こう配の梯子段を登ると広い部屋があり、驚くほど多くの仏像が鎮座していた。
・めったに見られないところなので、皆、神妙にご住職のご説明を伺った。
・歴史を感じさせる厳かさが伝わってきた。
・この高さから眺める円覚寺の庭は、深緑と同時に今まで気がつかなかった何かを感じさせた。

 

その3:北条時宗開基廟(佛日庵)』
・この建物は茅葺で、その落ち着いた佇まいが古(いにしえ)の頃を感じさせてくれる。
・中国の偉人、魯迅が滞在記念に植えた木蓮と泰山木が庭の緑を深くしていた。
・雨は紫陽花を際立たせてくれる。

 

 

2013年10月27日 第38回歴史散歩の会-江ノ電海岸コース

本蓮寺
本蓮寺

一日順延された歴史散歩も、昨日の嵐はどこへやら、今日は富士山はかすんだものの、丹沢山塊-箱根-伊豆の山々、そして大島が遠望できる好天となった。コースは以下。江ノ電江ノ島駅 - 本蓮寺 - 常立寺 - 龍口寺 - 満福寺 - 小動(こゆるぎ)神社 - 稲村ケ崎公園この近辺には日蓮宗の寺が多い。

常立寺
常立寺
元のフビライの使者 杜世忠(とせいちゅう)の墓
元のフビライの使者 杜世忠(とせいちゅう)の墓

ハイライトは何と言っても「龍口寺」。龍ノ口はいにしえ以来の元処刑場跡。日蓮も斬首されそうになった瞬間、江ノ島方面からの強い光が依知三郎を金縛りして刀を振り下ろすことができなかった。日蓮は斬首を免れ、佐渡へ島流しとなった。

龍ノ口処刑場前で記念撮影
龍ノ口処刑場前で記念撮影
仏舎利 (ストーパ)
仏舎利 (ストーパ)
龍口寺本堂
龍口寺本堂

義経が鎌倉へ入ることができなかった「腰越状」で知られる満福寺は、寺に上がり、その顛末などが彫られた襖(ふすま)絵など所縁の品々をゆっくり見学した。

龍護山医王院満福寺:腰越状など義経ゆかりの品々が展示されている
龍護山医王院満福寺:腰越状など義経ゆかりの品々が展示されている

小動(こゆるぎ)神社の展望台からは、江ノ島は元より相模湾が一望できた。

小動(こゆるぎ)神社
小動(こゆるぎ)神社

締めくくりは稲村ケ崎公園。
新田義貞の黄金の剣の真偽やその時代背景、鎌倉へ入った足利軍の真の山越え場所など、今まで知らなかったことをいろいろ教えてもらった。
北里柴三郎の招きで来日したコッホが、稲村ケ崎の裏山である「霊仙山(りょうぜんさん)」を訪れ、その記念碑も山の上にあったことなどを知った。この記念碑は現在、稲村ケ崎公園に移されている。
最後に逗子近辺に住む者にとっては欠かせない、「真白き富士の嶺~♪♪」の歌い出しでも知られる「七里ガ浜哀歌」の元になった悲哀「逗子開成中学の帰らぬ十二の雄々しきみ霊(兄弟の像)」の解説を聞いた。
本日は台風一過の好天に恵まれ、楽しい歴史散歩となった。
参加者:16名(うち女性:4名)

新田義貞碑
新田義貞碑
逗子開成ボート遭難碑(兄弟碑)
逗子開成ボート遭難碑(兄弟碑)

 

 

2013年4月28日 第37回歴史散歩の会

(遊行寺)山門
(遊行寺)山門

平成25418日(木)午前10時 藤沢駅を出発。小池先生のガイドで遊行寺(正式名称;清浄光寺)の特別拝観を中心に、旧藤沢宿、義経首洗い井戸、義経を祭神として祀る白旗神社など、晴天にめぐまれ、春の陽光をいっぱいに浴びながら、参加者27名それぞれが、また一つ歴史を学びました。

本堂(後光厳天皇の直額が掲げられている)
本堂(後光厳天皇の直額が掲げられている)
延文の鐘(「延文元年」の銘あり、1356年、県重要文化財)
延文の鐘(「延文元年」の銘あり、1356年、県重要文化財)
義経の首洗い井戸
義経の首洗い井戸
中雀門(1859年の建築で境内の最も古い建造物)
中雀門(1859年の建築で境内の最も古い建造物)
(旧藤沢宿)桔梗屋の店蔵
(旧藤沢宿)桔梗屋の店蔵
白旗神社(義経を祭神として祀る。社殿は1835年建造)
白旗神社(義経を祭神として祀る。社殿は1835年建造)

 

 

2012年10月27日 第36回歴史散歩の会:杉本寺-十二所方面-光触寺

 一番札所 杉本寺を筆頭に、鎌倉東方面(十二所方面)を散策した。
コースは以下
杉本寺-田楽辻子-旧華頂の宮邸-鎌足稲荷(昼食)-浄妙寺-足利公方邸跡-五大堂明王院-大慈寺跡-光触寺(こうそくじ)【特別拝観】-解散

秋の晴天に恵まれ、絶好のハイキング日和となった。今日は鎌倉の歴史の一方を色濃く残す、十二所(じゅうにそう)方面を散策した。参加者は27名。
それぞれ、自前・自作のお弁当、鎌倉駅前で調達したお弁当をもって『いざ、鎌倉』。

杉本寺、旧華頂の宮邸の庭などをまわったのち、鎌足稲荷で昼食にした。ここは鎌倉の名前の由来との説もある。

このあと、浄妙寺の庭は広くて整備されていて心に清浄感がただよった。
最後のご訪問は「時宗 光触寺(こうそくじ)」。藤沢の遊行寺と並ぶ時宗の名刹だ。ご住職自らのご説明に、一同一心に耳を傾けた。

今日は一日随分歩いたし、多くの物を見、勉強した。快い疲労感をふくらはぎに感じながら帰途についた。